ベルリンの無条件降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:17 UTC 版)
「ベルリンの戦い」の記事における「ベルリンの無条件降伏」の解説
ヒトラーの遺言で任命された新ドイツ政府の首相ゲッベルスは、ソ連と講和交渉を行うため、参謀総長ハンス・クレープス大将を軍使として派遣し、2時間にわたる停戦の申し入れを行ったが、赤軍はその申し入れを退け、ベルリンの無条件降伏を要求した。ゲッベルスはこの要求を拒絶し、代わりにベルリン防衛軍による赤軍のベルリン包囲網を突破する作戦の敢行を許可した。しかし、既に包囲網突破は不可能な状態であり、5月1日から2日にかけ、ベルリン防衛軍は降伏した。それまで徹底抗戦を訴え続けていたゲッベルスは、赤軍との停戦交渉が失敗に終わると、デーニッツにヒトラー死去の知らせを送り、その後、妻と子供6人を道連れに自殺した。 陥落寸前の国会議事堂に立てこもり最後まで抵抗した独軍兵はフランスやノルウェーといった占領地からの志願兵やソビエトからの寝返り捕虜兵が多くを占めていたと記録されている。彼らは仮に米英軍側に投降したとしても祖国に送還されれば裏切り者としての処刑を免れないがゆえ、ドイツ人兵以上に必死であった。
※この「ベルリンの無条件降伏」の解説は、「ベルリンの戦い」の解説の一部です。
「ベルリンの無条件降伏」を含む「ベルリンの戦い」の記事については、「ベルリンの戦い」の概要を参照ください。
- ベルリンの無条件降伏のページへのリンク