ベトナム阮朝によるチャムの四分類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:49 UTC 版)
「チャム族」の記事における「ベトナム阮朝によるチャムの四分類」の解説
『大南寔録正編』第一紀、第二紀によれば、19世紀のベトナム阮朝はチャムを慣習(アダット)に従って「蛮、占、尼、藍」に四分類した。中部、ビンディン省及びフーイエン省(平定省・富安省)のチャムはマン(蛮=山地民の意、フロイ集団 Hroi)と表記された。中部南端、パンラン・クロン・パリク・パジャイ四道=いまのニントゥアン省(寧順省)及びビントゥアン省(平順省)のチャムはバチャム(占または婆占 Bacam)及びバニー(尼または婆尼 Bani)と表記された。南部、タイニン省(西寧省)及びアンザン省(安江省)チャウドック地方のチャムはラーム(藍、おそらくは伊斯藍の略、今のシャーフィイー)と表記された。1695-1832年まで存続したチャム最後の王朝「順城鎮」では、ラグライなどの山地民(同様に蛮と表記されたが、フロイではない)と、占、尼が「順城民」としてチャム王(順城鎮王)の臣民とされた。チャム・ベト族のクレオールであるキンキュウ(京旧 Kinh Cựu)も順城民とされ、阮朝直轄領のベト族(18世紀「占婆王府档案」上の漢字表記は華民、漢民または安南民)と比べ、税制上若干の優遇があった。鄭懐徳 Trịnh Hoài Đức の『嘉定城通志』(1820)によれば、南部、タイニンの山地民および平地民も順城民としてチャム王(順城鎮王)の統治下にあった。当時のタイニンの平地民がバニーであったかラーム(シャーフィイー)であったかはよくわからない。現在、タイニンの平地少数民族(チャム)はすべてイスラーム(シャーフィイー法学派)に属する。
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