ヘルマン・コルベの根の説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 05:36 UTC 版)
ベルセリウスの考えはブンゼンの弟子であったヘルマン・コルベによって引き継がれた。まずコルベは1845年にメタンスルホン酸を研究し、これが酢酸の類縁体であり CH3•1/2S2O5•1/2H2O という形で表されることを示した。 しかしコルベはベルセリウスと異なり、根の不変性という点にはこだわってはいなかった。コルベは1848年にニトリルについて研究を行ない、ニトリルが R•CN という形で表され、これを加水分解することでカルボン酸 R•1/2C2O3•1/2H2O が得られることを示した。すなわちニトリルの性質を表す根 CN がカルボン酸の性質を表す根 C2O3 へと変化すると主張したのである。 さらに1850年にはエタノール、アセトアルデヒド、酢酸やその誘導体の相互の関係についての研究から、これらの中に CH3•C という根が存在するとした。そして2番目の炭素(カルボニル炭素)が化学反応において外部の試薬と反応する際に中心的な役割を果たすとした。例えばエタノール (CH3•C•H2•1/2O•1/2H2O)ではカルボニル炭素は水素と結合しており、それが酸化によって脱水素されてアセトアルデヒドとなり、さらにカルボニル炭素に酸素が付加することで酢酸になると考えた。一方、根の説に対抗する型の説では含酸素化合物を水の誘導体として考えていたが、アセトアルデヒドや酢酸、アセトンのような二重結合を含む化合物をその体系の中にうまく位置づけることができなかった。その点コルベの根の説では明快にそれらの関係を説明することができた。 1852年にエドワード・フランクランドは有機金属化合物の研究から原子価の概念を提唱し、有機金属化合物が金属の酸化物や塩化物の酸素や塩素をアルキル根で置換されたものであることを提唱した。1857年にコルベはこの考え方を有機化合物へと拡張し、すべての化合物が炭素の酸化物、二酸化炭素の誘導体とみなせることを提唱した。すなわちコルベもフリードリヒ・ケクレとほぼ同時期に炭素の原子価が4価であることに到達したのである。
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