ヘリコプター艦載化の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 02:39 UTC 版)
「QH-50 DASH」の記事における「ヘリコプター艦載化の試み」の解説
1957年2月、駆逐艦「ミッチャー」の船尾甲板で有人のHUL-1(ベル47)の発着演習が行われたのに続き、6隻の駆逐艦で同様の実験が行われ、小型航空機の艦載化についてのデータが蓄積された。1959年6月には、フレッチャー級駆逐艦「ヘイゼルウッド」の3・4番砲塔を撤去して、21.0×7.2メートルのヘリコプター甲板と、10.4×7.3×3.7メートル大の格納庫が設置された。 1955年末より、カマン社はHTK-1(のちのTH-43)を無人化する研究に着手しており、1957年5月の「ミッチャー」での発着実験を経て、1959年1月12日から2月6日にかけて、フォレスト・シャーマン級駆逐艦「マンリー」において運用試験が行われ、49回の模擬攻撃が行われた。しかしHTK-1はあくまで練習機に過ぎず、ペイロードは極めて限られていた。 ジャイロダイン社は1950年代半ばより、アメリカ海兵隊による小型偵察ヘリコプターの要求を受けて、「ローターサイクル」と称する超小型の有人ヘリコプターとしてYRON(英語版)を開発していた。海軍はこれに着目し、1958年4月、その無人機仕様を発注し、5月12日には要求仕様が提示された。これによって開発されたのがDSN-1(のちのQH-50A)であり、1960年7月1日には「ミッチャー」で着艦、そして12月7日には「ヘイゼルウッド」で発艦を成功させた。
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