ヘリコプター製造への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/18 06:13 UTC 版)
「ウエストランド・エアクラフト」の記事における「ヘリコプター製造への転換」の解説
戦争が終わると、ウエストランドはシコルスキー社のS-51のライセンス生産からヘリコプター事業を始め、やがて固定翼機から撤退してヘリコプターのみに専心することを決めた。 このウエストランド製S-51はドラゴンフライ (en:Westland Dragonfly) と呼ばれ、1948年に初飛行した。ドラゴンフライは、イギリス海軍およびイギリス空軍で1953年に就役した。ドラゴンフライは成功を収め、同じくシコルスキー S-55のライセンス生産版ホワールウインドや、ターボシャフト・エンジンを搭載したS-58 ウェセックスでも成功は繰り返された。 1959年から1961年にかけて、イギリス政府は20社前後あった航空機製造会社を3つのグループに再編した。ブリティッシュエアクラフトコーポレーション、ホーカー・シドレー・グループの2社が固定翼機を扱い、ヘリコプター関連のブリストル、フェアリー、そしてサンダース・ローはウエストランドと合併し、ウエストランド・ヘリコプターとなった(1961年)。 ウエストランドは、シコルスキー社のライセンスによるシーキングやベルエアクラフト社のライセンスによるスーなどの生産を行うと同時に、独自設計によるスカウトやその海軍版であるワスプを生産し、これらはイギリス空軍やイギリス海軍に採用された。
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