ヘッセン=ダルムシュタットとは? わかりやすく解説

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ヘッセン=ダルムシュタット方伯領

(ヘッセン=ダルムシュタット から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/03 23:12 UTC 版)

ヘッセン=ダルムシュタット
方伯領
Landgrafschaft Hessen-Darmstadt

1567年 - 1806年
(国旗) (国章)

1789年のヘッセン=ダルムシュタット(小豆色で示された地域)
公用語 ドイツ語
宗教 キリスト教ルター派
首都 ダルムシュタット
方伯
1567年 - 1596年 ゲオルク1世
1790年 - 1806年 ルートヴィヒ10世
変遷
成立 1567年
大公国に昇格 1806年

ヘッセン=ダルムシュタット方伯領: Landgrafschaft Hessen-Darmstadt)は、神聖ローマ帝国領邦国家。1567年ヘッセン方伯フィリップ1世の4人の息子たちがヘッセン方伯領を分割相続した際に成立し、首都をダルムシュタットにおいた。ナポレオン戦争の結果として1806年に神聖ローマ帝国が消滅すると、ヘッセン=ダルムシュタットはヘッセン大公国に昇格した。

歴史

ヘッセン=ダルムシュタット方伯領は、ヘッセン方伯フィリップ1世の4人の息子達のうち一番年下のゲオルク1世の相続領として成立した。

1604年ヘッセン=マールブルク方伯領の相続人が絶えると、マールブルク方伯領の継承をめぐってカルヴァン派領邦のヘッセン=カッセルルター派領邦のヘッセン=ダルムシュタットの間で長期間にわたる激しい対立関係が生じた。ヘッセン=カッセルの影響下にあったマールブルク大学がカルヴァン派大学だったため、ヘッセン=ダルムシュタット方伯家はこれに対抗して1607年にルター派大学のギーセン大学を創設した。同族関係にあるヘッセン=カッセルとヘッセン=ダルムシュタットの争いは三十年戦争にまで及び、前者がプロテスタント側で戦ったのに対し、後者は神聖ローマ皇帝軍に味方をした。

1803年帝国代表者会議主要決議に伴う聖俗の諸領邦の世俗化陪臣化により、ヘッセン=ダルムシュタットは広大な近隣地域を自領に併合することができた。ヘッセン=ダルムシュタットに組み込まれた主な地域としては、ケルン大司教領の一部だったヴェストファーレン公国、マインツ大司教領やヴォルムス司教領の一部があった。1806年の神聖ローマ帝国消滅に際して、ヘッセン家の家長であるヘッセン(=カッセル)選帝侯ヴィルヘルム1世が廃位され領国を没収されると、時のヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ10世ヘッセン大公を号した。

ヘッセン=ダルムシュタット方伯

関連項目


ヘッセン=ダルムシュタット(1567年 - 1803年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 03:02 UTC 版)

ヘッセンの統治者一覧」の記事における「ヘッセン=ダルムシュタット(1567年 - 1803年)」の解説

肖像名前開始終了付記 ゲオルク1世 1567年3月31日 1596年2月7日 フィリップ1世4番目の息子敬虔伯(der Fromme)と呼ばれたルートヴィヒ5世 1596年2月7日 1626年6月27日 ゲオルク1世息子。誠実伯(der Getreue)と呼ばれたゲオルク2世 1626年6月27日 1661年6月11日 ルートヴィヒ5世息子ルートヴィヒ6世 1661年6月11日 1678年4月24日 ゲオルク2世息子ルートヴィヒ7世 1678年4月24日 1678年8月31日 ルートヴィヒ6世の上息子エルンスト・ルートヴィヒ 1678年8月31日 1739年9月12日 ルートヴィヒ6世の下の息子ルートヴィヒ8世 1739年9月12日 1768年10月17日 エルンスト・ルートヴィヒ息子ルートヴィヒ9世 1768年10月17日 1790年4月6日 ルートヴィヒ8世息子ルートヴィヒ10世 1790年4月6日 1806年8月13日 ルートヴィヒ9世息子1806年よりヘッセン大公ルートヴィヒ1世1806年ヘッセン=ダルムシュタット方伯ヘッセン大公昇格した

※この「ヘッセン=ダルムシュタット(1567年 - 1803年)」の解説は、「ヘッセンの統治者一覧」の解説の一部です。
「ヘッセン=ダルムシュタット(1567年 - 1803年)」を含む「ヘッセンの統治者一覧」の記事については、「ヘッセンの統治者一覧」の概要を参照ください。

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