プロムナード・デ・ベルジュ・ドラ・セーヌ(2013年)
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「パリの公園と庭園の歴史」の記事における「プロムナード・デ・ベルジュ・ドラ・セーヌ(2013年)」の解説
19世紀から20世紀初頭にかけて、 アルマン橋とオルセー美術館の間にあるセーヌ川左岸の舗装された埠頭は、数々の国際博覧会、ボート埠頭、倉庫そしてカフェなどに使われ、そして浮遊プールが設けられていた。1961年から1967年の間、街の中心部の交通渋滞を緩和するために、川の両岸に沿って高速道路が建設された。1991年、川のほとりはユネスコの文化遺産に分類され、高速道路を公園や遊歩道に変える努力が始まる。 2008年から、高速道路の2.3キロメートルの区間が閉鎖され、2013年6月19日に「プロムナード・デ・ベルジュ・ドラ・セーヌ(Promenade des Berges de la Seine)」に生まれ変わった。遊歩道には木々茂み、花、そしてデッキチェアが並ぶ5つの浮遊する「島」があり、大きさは合計1800平方メートルにもなる。かつての高速道路にはコンサートや授業用のためのスペースや屋外展示スペース、遊び場、クライミングウォールや橋の下のディスコと化した。そしてランチからお祝いや会議のために活用できるtipisと家具付きの容器も設けられ、遊歩道沿いにボートドックと屋外カフェいくつかできる。公園内すべての施設は運搬も可能で、セーヌ川の水位が高騰する場合24時間以内に移動可能である。 遊歩道は建築家のFranklin Azziによって設計され、島はJean-Christophe Chobetによって築かれた。 [要文献特定詳細情報]
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