プレイタウンについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 09:05 UTC 版)
「千日デパート火災」の記事における「プレイタウンについて」の解説
チャイナサロン「プレイタウン」は、1967年(昭和42年)5月16日に千日デパートビル7階で営業を始めたアルバイトサロンである。同店は、1969年(昭和44年)5月15日に同年4月末で閉鎖になった6階・旧千日劇場の一部を利用して6階にも営業エリアを拡張した。火災発生のほぼ1か月前の1972年(昭和47年)4月17日に6階でボウリング場改装工事が開始されるのに合わせて、プレイタウンは6階での営業を廃止した。同月28日に6階旧営業エリアと7階プレイタウンのホールを繋いでいたスロープ状の通路部分をベニヤ板で仮閉鎖し、ボウリング場改装工事が始まった。 プレイタウンの管理権原者は、同店を経営する千土地観光の代表取締役業務部長である。右同人は1964年(昭和39年)6月に日本ドリーム観光から同社に出向しており、1970年(昭和45年)5月から代表取締役業務部長になり、本件火災当日もその地位に就いていた。また千土地観光の代表取締役にはもう1人、日本ドリーム観光の代表取締役社長である松尾國三も名を連ねており、松尾が同社の社長も兼任していた。プレイタウンの防火管理者は、同店の支配人(店長)である。右同人は1970年(昭和45年)9月1日から同店支配人に就任し、本件火災当日もその地位に就いていた。プレイタウン支配人は、1971年(昭和46年)5月に2日間の防火管理者講習を受講し、同月29日に同店の防火管理者に選任された。プレイタウンは消防法令が定める防火対象物の区分では「特定防火対象物・第2項(イ)」に分類されていた。
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