プスセンネス1世王墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 14:04 UTC 版)
「エジプト第21王朝」の記事における「プスセンネス1世王墓」の解説
タニスで発掘を行っていたフランス人学者ピエール・モンテは、1939年から1940年にかけての発掘でプスセンネス1世の王墓を発見した。このプスセンネス1世王墓こそは古代エジプトにおいて現存する唯一の未盗掘王墓である。トゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王墓でさえ、小規模ながら2度の盗掘を受けており、極めて貴重な事例である。 プスセンネス1世のミイラが納められた赤花崗岩の石棺は王家の谷にある第19王朝のメルエンプタハの石棺を再利用したものであった。また、その内側の黒花崗岩の石棺も、所有者不明ながら新王国時代の王の石棺を再利用したものである。このことは2つの事を立証する。1つはテーベに隣接する王家の谷から資材を得ることができたことから、プスセンネス1世がアメン大司祭国家とかなり友好的な関係、或いはそれに対する権威を保持しえていたことである。もう1つは王家の谷から「公権力」によって盗掘が行われていた事実であり、その他の副葬品にも再利用物が含まれている。 プスセンネス1世王墓には王妃ムトノジメトの埋葬室も作られたが、面白いことに発見された時ムトノジメトの埋葬室に眠っていたのはムトノジメトではなく、その息子であるアメンエムオペトであった。更に他の幾つかのミイラがこの王墓から発見されており、恐らく崩壊しかけた墓に埋葬されたミイラが次々とこの王墓に運び込まれたものと推定される。
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