ブルボン民主党と1893年恐慌
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「アメリカ合衆国民主党の歴史」の記事における「ブルボン民主党と1893年恐慌」の解説
共和党は1884年までホワイトハウスを手中にし続けたが、民主党は、特に大西洋岸中部と中西部では、手強い相手であり続け、この間のほとんどにおいて下院を掌握し続けた。1884年の大統領選挙においては、遂に民主党改革派(ブルボン民主党員)のニューヨーク州知事グロバー・クリーブランドが勝利した。クリーブランドは1888年の大統領選挙では敗北したが、1892年の大統領選挙で再選を果たした。ところが、1893年恐慌が起きると、政権の座にいたブルボン民主党員に批判が集中した。党内での激しい抗争が起こり、1894年の議会選挙直前に、クリーヴランド大統領は顧問から「人民は民主党には立法能力がないと感じ、あらゆる分野で民主党政権に不満を抱いている。経済的繁栄が戻って人々の不満が収まらない限り、民主党の暗黒の日々は近いだろう」という警告を受けた。警告は的中し、共和党は歴史的な地滑り的勝利を飾り、下院を完全に支配下に置いた。民主党はブルボン民主党員、重農主義民主党員双方とも破滅的な敗北を喫した。1891年結党の人民党もほとんど支持を集められなかった。
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