ブリュッセル在住時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:33 UTC 版)
「カール・マルクス」の記事における「ブリュッセル在住時代」の解説
マルクス一家は1845年2月にパリを離れ、ベルギー王都ブリュッセルに移住した。ベルギー王レオポルド1世は政治的亡命者に割と寛大だったが、それでもプロイセン政府に目を付けられているマルクスがやって来ることには警戒した。マルクスはベルギー警察の求めに応じて「ベルギーに在住する許可を得るため、私は現代の政治に関するいかなる著作もベルギーにおいては出版しないことを誓います。」という念書を提出した。しかし、マルクスはこの確約は政治に参加しないことを意味するものではないと解釈し、以後も政治的な活動を続けた。またプロイセン政府はベルギー政府にも強い圧力をかけてきたため、マルクスは「北アメリカ移住のため」という名目でプロイセン国籍を正式に離脱した。以降マルクスは死ぬまで無国籍者であった。 ブリュッセルにはマルクス以外にもドイツからの亡命社会主義者が多く滞在しており、ヘス、詩人フェルディナント・フライリヒラート、元プロイセン軍将校のジャーナリストであるヨーゼフ・ヴァイデマイヤー(ドイツ語版)、学校教師のヴィルヘルム・ヴォルフ(ドイツ語版)、マルクスの義弟エドガー・フォン・ヴェストファーレン(ドイツ語版)などがブリュッセルを往来した。1845年4月にはエンゲルスもブリュッセルへ移住してきた。この頃からエンゲルスに金銭援助してもらうようになる。
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