ブラック・ライン作戦(1830年10月~11月)
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「ブラック・ウォー」の記事における「ブラック・ライン作戦(1830年10月~11月)」の解説
ブラック・ライン作戦は、ヴァン・ディーメンズ・ランドの全守備隊の半分強に当たる約550人の兵士と、738人の囚人、912人の自由入植者・民間人の計2200人で構成されていた。全面的な統制をとっていたアーサーは、第63連隊のショルト・ダグラス少佐を部隊の指揮官に任命した。その目的は、9つのアボリジニー氏族のうち4つの氏族を前線に閉じ込め、フォレスティア半島を越えてイースト・ベイ・ネックまで、そしてアーサーがアボリジニ保護区に指定したタスマン半島まで追い込む挟撃作戦をとることであった。 10月中旬に2つの師団が合流したものの、地形の問題からすぐに包囲網は破られた。この作戦の唯一の成功は、10月25日の夜明けの待ち伏せで、2人のアボリジニが捕らえられ、2人が殺されたことだった。ブラックライン作戦は11月26日に終了した。 ライアンの推定では、島全体で300人、ブラックライン作戦が展開されていた地域では200人のアボリジニが生存しているのがやっとだった。しかし彼らは作戦期間中、ラインの前後を問わず入植者を少なくとも50回は攻撃し、しばしば小屋を略奪して食料を得ていた。
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