ブラジル・フォーミュラ・ルノー
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ブラジル・フォーミュラ・ルノー(Campeonato Brasileiro de Fórmula Renault )とは、2002年から2006年までブラジル国内で開催されていたフォーミュラ・ルノー選手権。ブラジルの若手ドライバー育成のために元F1ドライバーであるペドロ・ディニスによってヨーロッパより移入され、2002年に初めて開催され、ディニスが設立したPPDスポーツ社によって主催・運営され、これにルノー現地法人がスポンサーなどの形で協力するという体制となっていた。 初開催から当初は年間10イベント・各1戦を基本に年13〜14戦が開催されたが、2006年にイベント数の削減がはかられ、各イベント2戦を基本にF1のブラジルGPの前座レースと市街地開催レースを例外的に各1戦とする形で、年間8イベント・全13戦の開催となった。 タイヤはミシュランではなくピレリから供給を受けた。車体とエンジンについては、ヨーロッパから遠いという事情もあり、ブラジルでは同国のストックカーなどと同じく同国のコンストラクターZFレーシングが車両とエンジンの管理ほか、補機の製造などを手がけるという形を採っていた。 F1のブラジルGPの前座レースとなる場合などの例外を除いて、主にクリオ・カップとの併催でルノー・スピード・ショーのメインイベントとして開催される。ブラジルではそこそこの人気があり、レースの模様はテレビ放映され、主催者発表によれば、レースによっては1イベントで2万人程度の観客を動員していた。 2006年限りでPPDスポーツ社がレースの主催と運営から下り、ルノー・ブラジル支社も支援の引継ぎに難色を示したため選手権は消滅した。
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