ブラジル人家庭との出逢い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 01:42 UTC 版)
「渡辺トミ・マルガリーダ」の記事における「ブラジル人家庭との出逢い」の解説
トミは日本の家族への送金のため、より収入の得られる仕事を求めた末、医学博士のセレスティーノ・ブルーの一家に、住み込みの家政婦として勤めた。ブルー家は敬虔なキリスト教徒であり、トミに家族同然に接し、現地の習慣や言葉に不慣れなトミに、ポルトガル語を優しく教えた。約半年後には、トミは日常生活には不自由しないほどの語学力を身につけた。ブラジルの生活習慣にも溶け込み、トミはブルー家で幸福感をおぼえていた。 セレスティーノ・ブルーは、キリスト教カトリック系の慈善病院に勤めており、多くの困窮者を無償で診察していた。薬局の代金請求すら、セレスティーノが請け負っていた。トミは、セレスティーノが患者に対して献身的に尽くす姿に影響され、次第に慈善的な精神へと傾倒していった。18歳の誕生日を迎えた1918年10月25日、セレスティーノらが見守る中で受洗し、真珠を意味する「マルガリーダ」の洗礼名を授けられた。 トミがブラジルへ渡ってから8年後の1920年、日本からトミの父の死という悲報が入った。トミはブルー家の勧めで1925年(大正14年)、13年ぶりに日本へ帰国した。両親の墓参り、弟や妹たちとの交流を経て、1926年(大正15年)にブラジルへ戻った。
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