ブクステフーデ基地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 09:07 UTC 版)
「ブクステフーデ」の記事における「ブクステフーデ基地」の解説
1994年まで、ブクステフーデ基地があった。ナチス時代に設けられたエステタール兵舎には第3通信大隊の他、第3装甲師団の師団司令部および師団司令部中隊が配属されていた。基地の装備が時代遅れとなり、大部分が使い物にならなくなったため、基地から連邦軍が撤退した後は、新たに供給・廃物処理局がここに入った。老朽化した居住ブロックのいくつかは取り壊されて、新たに建て直された。旧幕僚棟は内装が改められ、小さな事務所と、音楽学校やフィットネススタジオが設けられた。かつての通信大隊の建物には市民大学が入った。この建物は入り口の前にバスの停留所がある理想的な立地である。第10棟から第14棟は「ブックスバウ、ブクステフーデ専門大学育成協会 e.V.」によって学生寮に改築され、現在も運営されている。1997年からここには最大86人の学生が生活できるようになっている。州立専門大学の閉鎖により学生の住居需要は大きく落ち込んだ。新しい私立の21大学が学生相手の商売を徐々に建て直している。戦車や他の乗り物のガレージや修理場といった技術部門は解体された。こうした箇所や旧運動場は新興住宅地となっており、かつてが基地であったことは判別できなくなっている。
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