フリート・ヴァルターとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 作曲家 > 近現代の作曲家 > フリート・ヴァルターの意味・解説 

フリート・ヴァルター

(フリード・ヴァルター から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/15 00:45 UTC 版)

フリート・ヴァルター(Fried Walter、1907年12月19日 - 1996年4月8日)は、ドイツ作曲家

ドレスデン近郊のオッテンドルフ・オクリラ出身。幼いころよりピアノチェロオルガンホルンを学んだ。17歳でホルン奏者としてデビューし、ゴータゲーラの劇場で活動したが、1929年世界大恐慌の影響で失業した。

その後ベルリンに出て、映画音楽の作曲技法をジュゼッペ・ベッチェに学んだ。さらに、ベルリン音楽大学(現在のベルリン芸術大学)でアルノルト・シェーンベルクに師事したが十二音技法は受け入れなかった。その後はキャバレーのミュージシャンとして活動したが、ナチス政権が誕生すると、政治とのかかわりを避け、ライプツィヒの放送局の仕事に就いた。同時にライプツィヒではヘルマン・アンブロジウスのもとで学んだ。オランダ滞在の後、1938年にはオペラ『エリザベス女王』を作曲し、グスタフ5世臨席のもとストックホルムの王立歌劇場で演奏された。この成功により指揮者ハインツ・ティーティエンは新たな作品を委嘱し、さらにヴァルターが兵役にとられないよう尽力した。そのオペラ『アンドレアス・ウォルフィウス』は1940年ベルリン国立歌劇場で初演された。1943年にはプラハバレエ『クレオパトラ』が上演され、1944年にはアドルフ・ヒトラーによって「天才名簿(„Gottbegnadeten-Liste")」に 掲載された。

第二次世界大戦後はベルリン国立歌劇場のコレペティトールを務め、1947年からは25年に渡ってアメリカ軍占領地区放送局(RIAS)で指揮者編曲者として活動した。

500以上の作曲作品と、250の民謡からの編曲作品がある。

目次

主な作品

オペラ

  • エリザベス女王
  • アンドレアス・ウォルフィウス

室内楽

  • 弦楽セレナーデ

マンドリンオーケストラ

  • シュレジエン組曲
  • 東プロイセン組曲
  • 反映
  • アコーディオンとマンドリンオーケストラのためのコンチェルティーノ

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フリート・ヴァルター」の関連用語

フリート・ヴァルターのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フリート・ヴァルターのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフリート・ヴァルター (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS