フランドル問題
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羊毛の産地であるイングランドと、毛織物産業の生産地であるフランドル地域には、商品経済関係が成立していた。百年戦争に先立ち、イングランド王エドワード3世は、1336年に羊毛を禁輸した。フランドルの諸都市の基幹産業に大きな打撃を与え、ヤコブ・ヴァン・アルテベルデによる反乱が生起した。フランス王の封臣であるフランドル伯ルイ1世は、フランスに亡命し、諸都市はイングランドを支持した。イングランド軍は、1338年にフランドルに侵攻し、同地は百年戦争序盤の要地となった。 1345年にアルテベルデが死去すると、ルイ1世はフランドルへ帰還するが、翌1346年のクレシーの戦いで戦死した。
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フランドル問題
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「サン・トメールの戦い」の記事における「フランドル問題」の解説
フランドルは11世紀ごろからイングランドから輸入した羊毛で作る毛織物産業で栄え、イングランドと関係が深かった。フランス王国がその富を求めてフランドルに侵攻した際にはイングランドと同盟して対抗し、一度フランスに併合されてからも反乱を起こして金拍車の戦い(1302年)でフランス軍を破り、独立を勝ち取った。1323年にフランドル伯ルイ1世が親フランス路線に転換すると、フランドル諸都市が蜂起してフランドル伯を追放し、フランスに鎮圧されてフランドル伯が戻るまで5年間反乱が続いた。 百年戦争にいたる英仏間の関係悪化に伴い、1336年にイングランド王エドワード3世がフランスへの羊毛輸出禁止に踏み切り、フランドル経済は大打撃を受けた。1337年にはフランドルの中心都市ヘントの政治家ヤコブ・ヴァン・アルテベルデの指導で諸都市連合が反乱を起こしてフランドル伯を追放し、エドワード3世に忠誠を誓った。イングランドは羊毛の供給と引き換えにフランス侵攻の橋頭堡になることをフランドルに持ちかけ、アルテベルデは同意した。
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フランドル問題
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「ローゼベーケの戦い」の記事における「フランドル問題」の解説
イングランド産の羊毛で毛織物を生産して栄えたフランドルはイングランドとの関係が深かった。その富を狙ったフランス王フィリップ4世が1300年にフランドルを併合したものの、都市同盟が反乱を起こして独立。その後、親フランス政策をとったフランドル伯ルイ1世に対し都市同盟は再び反乱を起こしてこれを一度は追放するが、フランス王の介入で復権したため、フランドル伯は親フランス、都市市民は親イングランドというねじれ状態が続き、百年戦争勃発の遠因となった。
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