フォーレの女性関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 14:15 UTC 版)
「ガブリエル・フォーレ」の記事における「フォーレの女性関係」の解説
『レクイエム』で知られ、教会オルガニストであったことから敬虔なカトリック教徒というイメージが強いが、フォーレ自身、必ずしもそうでないことを認めている。 実際、若いころのフォーレは享楽的な傾向を持ち、1883年に彫刻家エマニュエル・フルミエの娘、マリーと結婚した後も、90年代前半はのちにドビュッシー夫人となったエンマ・バルダックと、後半はイギリスの楽譜出版社の夫人のアディーラ・マディソンと関係を持ち、そして1900年『プロメテ』初演時にアルフォンス・アッセルマン(ハーピスト・作曲家)の娘、マルグリット・アッセルマンと出逢い、そののち彼女を生涯旅行などに付き添わせるといった愛人たちとの交際を続けた。 なお、妻マリー・フルミエとの間には息子エマニュエル(1883-1971)とフィリップ(1889-1954)がいる。エマニュエルは動物学者で繊毛虫の研究者、フランス動物学協会会長、科学アカデミー会員となった。また、フォーレの孫とされるフォーレ・ハラダという日仏混血の画家がいる。本人によると、フランス人の父、日本人の母(ともにピアニスト)のもとアヴィニョンで生まれ(国籍日本)、フランス、ドイツ、日本、インドなどで教育を受け、日本とアメリカに暮らしながら、禅アーチストとして外国人に墨絵を教えていた。
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