フェリト・メレンとは? わかりやすく解説

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フェリト・メレン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/28 17:35 UTC 版)

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フェリト・メレン
Ferit Melen

トルコ共和国
第35代首相
任期 1972年5月22日1973年4月15日

出生 1906年
ヴァン
死去 1988年9月3日
アンカラ
政党 共和人民党、共和信頼党

フェリト・メレントルコ語Ferit Sadi Melen1906年 - 1988年9月3日)は、トルコ共和国の政治家、首相1972年5月22日 - 1973年4月15日)。

経歴

ヴァン生まれ。1928年ブルサ男子リセを卒業し、イスタンブールの行政学院(Mekteb-i Mülkiye、現在のアンカラ大学社会科学学部の前身)に入学。卒業後パリで財政学の教育を受け、帰国後は財務省で勤務した。1943年に国税局長、1946年に歳入局長に就任した。

1950年の総選挙にヴァン選挙区から出馬し、1954年まで国会議員を務めた。1962年には、非議員ながら、イノニュ内閣の財務相に任命され、1964年には上院議員に任命された。

1968年には、中道左派路線への路線転換を進めるイノニュ、エジェヴィトら党執行部に反発して、共和人民党を離党し、信頼党(Güven Partisi)の設立に参画した。1971年公正党デミレル政権を辞任に追い込んだ軍の意向を受けて、エリムを首班とする超党派内閣が組織されると、メレンは国防相として入閣した。翌1972年にエリムが辞任すると、メレンは後継首相として擁立された。

その後、1975年公正党デミレルが、国民救済党民族主義者行動党、共和信頼党と連立政権を樹立すると、メレンも共和信頼党の閣僚として入閣し、再度国防相を務めた。

故郷ヴァン市には、彼の名を冠したヴァン・フェリト・メレン空港がある。

息子のミトハト・メレンも、民族主義者行動党の国会議員として知られる。

外部リンク

  • Dünden Bugüne Başbakanlık (1920-2004), Ankara, 2004 (T.C. BAŞBAKANLIK DEVLET ARŞİVLERİ GENEL MÜDÜRLÜĞÜ Yayın Nu: 17) [1]




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