ファイターズ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 18:01 UTC 版)
「マット・ウインタース」の記事における「ファイターズ時代」の解説
1990年に日本ハムファイターズに入団。その1990年のオープン戦は不振で、近藤貞雄監督からは「このままだと開幕は二軍スタート」と言われる。しかし、オープン戦最終戦で3安打を放ち開幕一軍を勝ち取ると、持ち前の長打力を発揮。打率は2割7分前後が主だったが、入団以来4年連続30本塁打以上と中心打者となる。しかし、在籍時にはパ・リーグにオレステス・デストラーデ(西武ライオンズ)、ラルフ・ブライアント(近鉄バファローズ)が在籍していたため、本塁打王を獲得することは出来なかった。 1994年は打率.260、22本塁打、81打点という成績だったが、日本ハムを退団して同年を最後に現役を引退。 引退後はマイナーリーグのコーチやスカウトを経て、北海道日本ハムファイターズ駐米スカウトを務めている。
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