ヒルマン
いすゞ自動車とイギリスのルーツモーターズ社が糧携してつくったノックダウン生産車。1953年10月に国内組立て1号車が完成、11月から販売を開始した。ヒルマン・ミンクスMK.Ⅵと呼ぶ4人乗りの小型セダンで、エンジンは直列4気筒SV・1265cc。最高出力37.5ps/4200rpm、最大トルク8.0kg-m/2200rpmを発生した。車名は創設者ウィリアム・ヒルマンの名前から。
54年7月、リヤウインドウを22%拡大、トレッドを約10%広げたMK.Ⅶに移行。55年2月にはMK.Ⅷへ進化した。エンジンをOHV・1390ccに換装、出力も43psに向上、乗車定員が5人になった。
56年1月、ツートーンカラーのMK.ⅧAを発表、7月からは国産の1.4Lエンジンを採用した。9月にはボディ・アクスルの国産化にかかり、57年10月、待望の純国産車が誕生した。58年1月、エンジンの出力アップをはかると同時に、オプションだったラジオやヒーター、電気時計などが標準装備となった。シートもナイロン地に改めた。6月、ミンクス・ジュビリーser.Ⅱに発展。タクシー需要を考慮して乗車定員を6名にした。
59年9月、14LエンジンをGH150型に変え、出カがDx・62ps、std・60psになった。その後、2度のマイナーチェンジがあり、さらに出力も向上したが、64年6月をもって生産を終了した。累計生産台数は5万7729台。
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