パンダ・ダ・パ・ヤッとは? わかりやすく解説

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パンダ・ダ・パ・ヤッ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 06:44 UTC 版)

みんなのうた
パンダ・ダ・パ・ヤッ
歌手 加茂晴美
作詞者 若谷和子
作曲者 森田公一
編曲者 佐々木勝彦
映像 アニメーション実写
映像制作者 加藤晃(アニメ製作)
初放送月 1983年10月 - 11月
再放送月 1987年4月 - 5月
1992年2月 - 3月
1997年6月 - 7月(ラジオのみ)
2008年6月 - 7月(ラジオのみ)
2013年2月 - 3月
2019年4月 - 5月
2021年8月[1]
2022年2月
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パンダ・ダ・パ・ヤッ」は、日本の楽曲。作詞:若谷和子、作曲:森田公一、編曲:佐々木勝彦、歌:加茂晴美。

概要

1983年10月・11月に、NHKの『みんなのうた』で紹介。人気動物「ジャイアントパンダ」(以降「パンダ」と表記)を主人公にし、パンダの見た夢を歌った楽曲で、1番は「宇宙探検」、2番は「海底探検」となっており、3番は「明日」を夢に見て、寂しい人に幸せになるように訴えている。なお50年以上に渡る『みんなのうた』の歴史で、パンダの楽曲が取り上げられたのは2022年現在唯一。歌はテレビアニメときめきトゥナイト』『アタッカーYOU』などの主題歌を歌った加茂晴美で、加茂の『みんなのうた』出演も2022年現在唯一。

映像はアニメーションと実写を併用、アニメ部分は『みんなのうた』で常連の加藤晃が担当、そして実写はスペインマドリードにある動物園で、母子パンダの様子を撮影した物を使用した。日本で撮影されなかった理由は、1983年当時の日本では、子パンダが産まれて育っていなかったからである。なお映像に出てきた母パンダは、翌1984年の秋に亡くなった[2]

1987年4月・5月に初めての再放送。

脚注

  1. ^ テレビでは『やさしさの玉手箱』(石田よう子)・『遠い夏休み』(杏子)・『ラジャ・マハラジャ』(戸川純東京放送児童合唱団)と合わせて放送、全曲とも視聴者から寄せられた曲に対する思い出のナレーションを添えたが、『ラジャ・マハラジャ』のみフルコーラス、あとの3曲(本曲を含む)はワンコーラスで放送した。一方のラジオでは『やさしさの玉手箱』と『ラジャ・マハラジャ―』を合わせて放送、双方ともフルコーラスで、思い出のナレーションは省かれた。
  2. ^ 「NHKテキスト みんなのうた 2013年2・3月号」(NHK出版)p.7 2013年



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