パトリシア・プリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 07:11 UTC 版)
「ダンジョンズ&ドラゴンズに関する論争」の記事における「パトリシア・プリング」の解説
バージニア州リッチモンド出身の反オカルト論者パトリシア・プリング(英語版)は、ボザード・アバウト・ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ(BADD、「D&Dを憂慮する連盟」)という団体を創立した。BADDはプリングが独力で運営する運動団体で、D&Dや同種のゲームを撲滅することを目標に掲げていた。プリングの息子アーヴィングは1982年にD&Dをプレイした数時間後に自殺を遂げた。これをきっかけとしてBADDを設立したプリングは、1997年に自身が病死するまで運動を続けた。一説によると、プリングは息子のキャラクターがゲーム内で呪いをかけられたことが自殺の原因になったと信じていた。プリングは息子が高校でD&Dをプレイしていたことの責任を問うため、その校長に対して不法死亡訴訟を起こした[要出典]。また、後に当時D&Dを刊行していたTSR社をも訴えた。 TSRを相手取った訴訟は1984年に棄却され、プリングの主張のほとんどは報道によって論破された。中でもマイケル・A・スタックポールは、TRPGプレイヤーは一般人よりも自殺率が低いことを示した。訴訟に敗れたプリングはBADDを設立し、D&Dが悪魔崇拝やレイプ、自殺、そのほか数えきれないほどの不道徳かつ違法な行為を奨励しているという信条を広めるために出版を始めた。BADDは1997年にプリングがガンで死亡したことで事実上消滅した。
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