パスカル研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 02:01 UTC 版)
1924年8月三木はパリを訪れた。三木はパスカル研究を『この冬ごろ、ふとパスカルを手にし、心を捉えられてその研究に専念し始めた』(三木清全集 20巻 年譜325頁1行目より引用)とあるように、冬から開始し、1925年2月に、その第一論文「パスカルと生の存在論的解釋」を完成した。これは日本に送られ、同年5月、雑誌『思想』の第43号に掲載される。第二論文「愛の情念に関する説ーパスカル覚書ー」は同年8月の第46号、第三論文「パスカルの方法」は同年11月の第49号、第四論文「三つの秩序」はパリから送付はされたが、なぜか掲載されず、第五論文「パスカルの『賭』」は同年12月の第50号に載った。はじめは第七論文まで計画していたと思われるがそれは成らず、1925年10月に帰国後、第六論文「宗教における生の解釋」を書き加えて、1926年6月『パスカルに於ける人間の研究』として岩波書店から出版された。
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