パキスタンでの禁教後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 07:53 UTC 版)
「日本におけるアフマディーヤ」の記事における「パキスタンでの禁教後」の解説
1984年、前述したようにパキスタンにおいて軍事法令第20条が施行され、宗教活動が禁じられた。名古屋入管における難民申請者は1987年には9人、1988年には22人、1989年には32人に増加し、このほとんどがアフマディーヤを信仰するパキスタン人だった。アフマディーヤ信徒の日本への流入は1980年代に本格化したが、1989年に日本とパキスタンの間でビザ相互免除協定が廃止されたことなどにより1990年代には急減した。 1993年にはアフマディーヤの信徒として初めて、1人のパキスタン人の難民申請が認められた。ただし、同年には35人のアフマディーヤ信徒が難民不認定処分となっており、処分の取り消しを求めて7件の訴訟を起こしていた。1994年には8人のアフマディーヤ信徒の訴えに対し、名古屋地方裁判所は、「迫害を受けるという恐怖を抱くような客観的事情があるとはいえない」として請求を棄却した。しかし、1997年には1人のアフマディーヤ信徒の訴えに対し、名古屋地方裁判所は、迫害の恐れが継続しているとして処分の取り消しを命じる判決を言い渡した。
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