バルカン半島 - ブランデンブルク師団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 08:49 UTC 版)
「ブランデンブルク (特殊部隊)」の記事における「バルカン半島 - ブランデンブルク師団」の解説
1942年下旬までブランデンブルク連隊の大部分は、エリート歩兵としてドイツ軍前線の隙間を埋める“火消し部隊”任務に駆り出された。1943年2月、ブランデンブルクは前線から引き抜かれ、ドイツに戻った。連隊はこのときブランデンブルク師団となったが、ある連隊は東部戦線に戻り“火消し部隊”の任務を再開した。ある大隊はアフリカに送られ、地中海の連合軍に対する擾乱行動を続けた。残余の部隊はバルカン半島に送られ、対パルチザン作戦に投入された。 1944年5月25日、師団のスペシャリストが第500SS降下猟兵大隊に配属され、桂馬飛び作戦(Operation Rösselsprung)に投入された。本作戦はユーゴスラビアのパルチザン指導者ヨシップ・ブロズ・チトーをドルバー(Drvar)近郊にある彼の司令部で捕縛し、それによってバルカン半島での共産主義者のレジスタンス運動を鎮圧することを目的としたものだった。チトーはSS降下猟兵が彼の地下司令部に突入する直前に脱出し、SS降下猟兵は街の墓地へ撤退、塹壕を掘りパルチザンの猛攻に夜まで耐えた。パルチザンの死傷者約6,000名に対し、第500SS降下猟兵大隊は戦死213名、負傷881名および行方不明51名の被害をうけ、ほとんど掃討された。
※この「バルカン半島 - ブランデンブルク師団」の解説は、「ブランデンブルク (特殊部隊)」の解説の一部です。
「バルカン半島 - ブランデンブルク師団」を含む「ブランデンブルク (特殊部隊)」の記事については、「ブランデンブルク (特殊部隊)」の概要を参照ください。
- バルカン半島 - ブランデンブルク師団のページへのリンク