バグダッド【Baghdād】
バグダード
(バクダッド から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 08:28 UTC 版)
バグダード(アラビア語: بَغْدَاد, Baghdād, バグダード)(ラテン文字表記: Baghdad, Baġdād)は、イラクの首都。また、バグダード県の県庁所在地でもある。アッバース朝によって建設された古都であり、イスラム世界における主要都市の1つ。2020年の人口はおよそ714.4万人[1]。
注釈
- ^ 中世ヨーロッパでは長いあいだバグダードは王都バビロンと同一であると誤認されていたが、イスラーム以前のバグダードは定期市がひらかれる一集落にすぎなかった。
- ^ 「羊の家」をあらわすアラム語が語源であるという異説もあって、一定しない。
- ^ 初代のサッファーフは、いわゆる「アッバース革命」の成功によりクーファで即位した。サッファーフは、クーファから北方のハーシミーヤ、さらにはバグダード西方のアンバールに都を遷した。第2代カリフのマンスールはサッファーフの兄にあたり、いったんはハーシミーヤに復都したものの、その地は、マラリアを媒介する蚊が多く、また、多数のシーア派住民が住むクーファに近く政情不安が懸念されたので新都の建設が求められた。
- ^ 円城都市にはメディア王国の首都エクバタナ(現在のハマダーン)やサーサーン朝の都市グール(現在のフィールザーバード)など古代オリエント以来の伝統がある
- ^ アラブ大遠征以降、軍団内でのアラビア半島出身者のアラブ人兵士の重要性が減じ、かわってホラーサーン地方出身者の軍人やその他の側近軍団、9世紀以降はトルコ系の奴隷軍人(マムルーク)が軍の主力をになうようになった。
- ^ 舟橋はのちに上流と下流にも1つずつつくられた。これは、河中に杭を立てて舟をつなぎあわせ、その上に板を敷いてつくられていた。
- ^ 「マディーナ・アッ=サラーム(平安の都)」はマンスールによる命名。天国を意味する「ダール・アッ=サラーム(平安の館)」が意識されたものといわれるが、実際には従来よりの呼称バグダードが多用された。なお、中国では宋代以降「白達」と表記され、イタリア語ではバルダッコ(Baldacco)の名で知られた。
- ^ 『千夜一夜物語』は単にお伽噺のみならず、史実にもとづいた物語を数多く含んでいるとみられている。しかし、後世換骨奪胎してつくられた話やハールーンに仮託された話も多く、その場合はハールーンを主人公とし、バグダードを舞台としておりながらも実際の細部の地理などについては不正確なことも多い。
- ^ 好色な場面はハールーンが登場人物となることが多いところからバグダード起源の説話が多く、悪漢の登場する説話はカイロ起源のものが多いと考えられている。
- ^ イスラーム商人の活動領域はきわめて広大であり、北はロシアやスカンジナビア半島、南はインド洋やアフリカ大陸東岸、東は南シナ海沿岸、西は大西洋沿岸にすらおよんでいた。前嶋(1955)p.86
- ^ サンスクリットの動物寓話『パンチャタントラ』は、マンスールの書記に抜擢されたイブン・アルムカッファーによってペルシア語訳から『カリーラとディムナ』としてアラビア語に訳された。13世紀にはそのヘブライ語訳からラテン語、さらに独仏英の諸語に、アラビア語からは直接ギリシア語・スペイン語に訳された。
- ^ 「創造されたコーラン」説を唱え、アッバース朝下の諸民族の特徴を描写した文でも知られる、9世紀アラブの文人ジャーヒズもバグダードで活躍した人物である。
- ^ 詩人でもあったマアムーンは翻訳者に訳した本と同じ重さの黄金をあたえたという。
- ^ アッバース朝の22代カリフ、ムスタクフィー(944年 - 946年)はアフマドをアミール・アルウマラー(最高のアミール職)に任じてムイッズ・アッダウラ(王権を強化する者)という称号をあたえるとともに、軍事・行政および財政に関する全権限をアフマドに移譲した。
- ^ こののち、「スルタン」はスンナ派イスラーム国家の君主号として定着して広く用いられる。
- ^ ニザーミーヤ学院は、バグダードのみならずニーシャープールやイスファハーン、レイにも建てられた。この学院がイスラーム世界のマドラサ教育の先がけとなった。
- ^ ハーシム家のイラク王国は、サウード家のサウジアラビアとは対立した。
- ^ 1988年に停戦が実現し、1990年イラン側の和平条件を全面的に受け入れることを表明した。
- ^ しかし、「大量破壊兵器」なるものが存在しなかったことはアメリカ合衆国連邦議会によってのちに証明された。
- ^ 「月平均降雨日数」とは、日降水量0.25mm以上の月平均日数を指している。
- ^ フレグの七男テグデルはムスタンスィリーヤ学院への寄進をおこなっている。
- ^ 正統カリフ時代第4代カリフのアリー(預言者ムハンマドの従弟で女婿、シーア派の初代イマーム)は、現バグダード市南部のカルフにあったモスクで暗殺されたと伝承される。バグダードの南160キロメートルのナジャフにはアリーの墓廟があり、ナジャフとバグダードのおよそ中間に位置するカルバラーもシーア派の聖地となっている。
- ^ アジアカップウィナーズカップ1999-2000準優勝ティーム。決勝戦では日本の清水エスパルスに敗れた。
出典
- ^ 『データブック・オブ・ザ・ワールド 2009年版』p.50
- ^ “Cambridge Dictionary - Baghdad”. 2023年11月3日閲覧。
- ^ a b c d 『日本大百科全書』(2004)原隆一執筆分
- ^ Hoornweg, Daniel; Pope, Kevin (January 2014). “Population predictions of the 101 largest cities in the 21st century”. Global Cities Institute (Working Paper No. 4) .
- ^ a b c d e f 末尾(1975)p.468
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『ブリタニカ国際大百科事典』(1974)pp.158-159「バグダード」(糸賀昌昭訳)
- ^ a b c d e f g h i 佐藤(1988)pp.437-438
- ^ a b スチュアート(1973)pp.79-81
- ^ a b c d 杉田(2006)pp.12-15「アラビアン・ナイトの時代」
- ^ a b c 余部福三. “アッバース朝期のバグダードの民衆運動” (PDF). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月17日閲覧。
- ^ a b 藤本康雄・田端修・樋口文彦「中近東・アジアの古都市・建築平面構成と尺度」 (PDF) (大阪藝術大学研究紀要「藝術 24」)[リンク切れ]
- ^ a b c 前嶋(1978)p.18
- ^ a b c 岩淵(1993)pp.34-37
- ^ 岩村(1975)pp.244-246
- ^ 杉田(2006)pp.18-19「ハールーン・アッラシード」
- ^ a b 嶋田(1970)pp.230-233
- ^ a b 『日本大百科全書』(2004)森本公誠執筆分
- ^ 佐藤(1978)
- ^ “松岡正剛の千夜千冊”. 松岡正剛の千夜千冊 (2002年11月13日). 2022年3月17日閲覧。
- ^ 岩淵(1993)pp.38-39
- ^ Marr, Phebe; “The Modern History of Iraq”, page 172
- ^ 「米軍最後の部隊がイラク撤退完了、約9年にわたる戦争終結」『Reuters』、2011年12月19日。2022年3月17日閲覧。
- ^ 岩淵(1993)pp.28-29
- ^ “イラク首都にごく珍しい雪、過去100年で2回目”. AFP (2020年2月11日). 2020年2月13日閲覧。
- ^ “World Weather Information Service - Baghdad”. World Meteorological Organization. 2013年6月20日閲覧。
- ^ “Baghdad Climate Guide to the Average Weather & Temperatures, with Graphs Elucidating Sunshine and Rainfall Data & Information about Wind Speeds & Humidity:”. Climate & Temperature. 2012年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月25日閲覧。
- ^ フォーダー(1979)pp.342-343
- ^ “イラク鉄道に中国製の新型高速列車”. WIRED (2014年3月24日). 2018年8月29日閲覧。
- ^ a b c d e 杉村(1988)p.438
- ^ a b c d e f “阿部政雄「バグダードとメソポタミア」” (PDF). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月17日閲覧。
- ^ 『文化財発掘出土情報』2003年7月号
- ^ “ASTERで撮影した世界の都市”. 2003年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月17日閲覧。
- ^ 『朝日旅の百科』(1981)pp.1608-1614
- ^ a b アンソニー&スペンス(2007)
- ^ “Leaders Highlight Successes of Baghdad Operation - DefendAmerica News Article”. Defendamerica.mil. 2008年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月27日閲覧。
- ^ “DefenseLink News Article: Soldier Helps to Form Democracy in Baghdad”. Defenselink.mil. 2010年4月27日閲覧。
- ^ “DefendAmerica News - Article”. Defendamerica.mil. 2008年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月27日閲覧。
- ^ “Zafaraniya Residents Get Water Project Update - DefendAmerica News Article”. Defendamerica.mil. 2008年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月27日閲覧。
- ^ Frank, Thomas (2006年3月26日). “Basics of democracy in Iraq include frustration”. USA Today 2010年4月26日閲覧。
- ^ “Democracy from scratch”. csmonitor.com (2003年12月5日). 2010年4月27日閲覧。
- ^ “Iron Horse Brigade aids Iraqi boy’s recovery”. Central texas news (2004年11月26日). 2004年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月17日閲覧。
- ^ “米少年とイラク交響楽団共演 バグダッド”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2010年5月23日). オリジナルの2013年7月2日時点におけるアーカイブ。 2011年1月19日閲覧。
- ^ “Five women confront a new Iraq”. THE CHRISTIAN SCIENCE MONITOR (2003年7月16日). 2003年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月17日閲覧。
- ^ “戦後初の「イラク映画祭」、政府高官らが出席 - イラク”. AFP通信. (2006年7月3日). オリジナルの2013年5月24日時点におけるアーカイブ。 2011年1月19日閲覧。
- ^ “In Baghdad, Art Thrives As War Hovers”. Commondreams.org (2003年1月2日). 2010年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月27日閲覧。
- ^ “Twinning the Cities”. City of Beirut. 2008年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月13日閲覧。
- ^ Iraqi capital of Baghdad twinned with North Yemen counterpart of Sanaa [Yemen news items 1989:Twinning]
- バクダッドのページへのリンク