バイキングの急襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 16:50 UTC 版)
「ウェセックス王国」の記事における「バイキングの急襲」の解説
エグバートの治世の晩年、ウェセックス王国はデーン人のヴァイキングの攻撃を受け、835年以降たびたびさらされるようになる。851年には350もの軍船を乗せた大軍がテムズ川河口に現れる。そしてマーシア王国のベオルンウルフを敗北させると、デーン人の大軍がウェセックス王国に進出、しかしアクレアの戦い(en:Battle of Aclea)でエグバートの息子エゼルウルフに敗れ、四散した。こうして15年デーン人の侵略を免れる事ができたが、ウェセックスへの急襲は依然として続いた。 855年から856年にかけてエゼルウルフはローマへ巡礼に出かけ、その間長子エゼルバルド(en:Æthelbald of Wessex)が父の不在の間に王位を簒奪する。エセルウルフが帰還すると流血を避けるために息子と領土を分割する事に同意、自らはウェセックス東部の新たな領土を統治し、息子は古来の中心地を治めた。エセルウルフの後領土は子供たちに交互に受け継がれ、エセルバルドの他にエセルベルト(en:Ethelbert of Wessex)が東部の父の領土を受け継ぎ、そしてエゼルバルドの死去によりウェセックス王国を再統一させ、王位はエゼルレッド(en:Ethelred of Wessex)に引き継がれた。しかしエゼルレッドも死去。年長の兄弟が子を残さず絶え、エゼルレッドの息子は王位に就くには幼すぎたので、王位は末子アルフレッドに受け継がれた。後にアルフレッド大王と呼ばれる人物である。
※この「バイキングの急襲」の解説は、「ウェセックス王国」の解説の一部です。
「バイキングの急襲」を含む「ウェセックス王国」の記事については、「ウェセックス王国」の概要を参照ください。
- バイキングの急襲のページへのリンク