ハバナ連続爆破事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 03:28 UTC 版)
「ルイス・ポサダ・カリレス」の記事における「ハバナ連続爆破事件」の解説
1997年、キューバで発展を続ける観光産業に止めを刺すべく、一連の爆破テロ事件に関与(ハバナ連続爆破事件)。イタリア系カナダ人のファビオ・ディ・チェルモが死亡、11名が負傷した。ポサダは翌年に行われたインタビューで、チェルモの死に対し「そのイタリア人は運が悪かっただけだ」と言い放った。また、ニューヨーク・タイムズのインタビューでは、「誰かが死んだのは悲しいが、我々は(テロ行為を)止めない」と発言している。なお、アメリカの報道機関が連続爆破事件を中々報じない姿勢に業を煮やし、「宣伝してくれなければ、仕事が無駄になるじゃないか」との放言も報じられた(当該発言は後に撤回)。 1998年、ニューヨーク・タイムズはアメリカ政府がポサダの破壊活動への支援を打ち切った後でさえ、法執行を怠るなど寛容な態度により恩恵を受けていた可能性を示唆。また、同紙は爆弾がハバナ市内のホテルやレストランに仕掛けられた際、ポサダのビジネスパートナーであるキューバ系アメリカ人が、グアテマラやアメリカへその事実を知らせようとしたと報じている。2007年5月3日、FBI捜査員が爆破事件調査の一環として前年にキューバを訪れたことが暴露された。FBIの新文書では、靴やシャンプーの瓶に爆薬を忍ばせるなど、新たなテロの詳細が次々と明るみにもなった。
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