ノーベル賞受賞と辞退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 07:30 UTC 版)
「ドクトル・ジバゴ」の記事における「ノーベル賞受賞と辞退」の解説
パステルナークが住んでいたソ連では自国の社会像が赤裸々に込められた『ドクトル・ジバゴ』はロシア革命を批判する作品であると考えられたために発表・出版はできず、1957年、イタリアで刊行され、世界的に知られることになった。18カ国に出版され、翌年にはノーベル文学賞がパステルナークに授与されることになったが、ソ連共産党がパステルナークをソ連の作家同盟から除名・追放すると宣告するなどして受賞の辞退を迫った。受賞すれば亡命を余儀なくされると考えたパステルナークは「母国を去ることは、死に等しい」と言い受賞を辞退した。これは、政治的な理由でノーベル賞の辞退を余儀なくされた最初の事例になった。 ソ連の共産党は「(『ドクトル・ジバゴ』は)革命が人類の進歩と幸福に必ずしも寄与しないことを証明しようとした無謀な試みである」と非難した。当時「社会主義革命の輸出」をしていたソ連政府にとっては「ロシア革命は人類史の大きな進歩である」という政府の見解に疑問符をつけることは許しがたいことであった。 ただし、ノーベル委員会はこの辞退を認めず、一方的に賞を贈った。このため、パステルナークは辞退扱いにはなっておらず、公式に受賞者として扱われている。ソ連国内での発行禁止が解けるのは、1988年である。
※この「ノーベル賞受賞と辞退」の解説は、「ドクトル・ジバゴ」の解説の一部です。
「ノーベル賞受賞と辞退」を含む「ドクトル・ジバゴ」の記事については、「ドクトル・ジバゴ」の概要を参照ください。
- ノーベル賞受賞と辞退のページへのリンク