ニュルンベルクと傑作(1507-1520)とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 00:35 UTC 版)
「アルブレヒト・デューラー」の記事における「ニュルンベルクと傑作(1507-1520)とその後」の解説
ヴェネツィア人に敬意を持たれていたにも関わらず、1507年の中頃までにデューラーはニュルンベルクに戻り、1520年までドイツ国内で暮らした。彼の評判はヨーロッパ中に知れ渡り、彼はラファエロ・サンティ、ジョヴァンニ・ベリーニやレオナルド・ダ・ヴィンチ(ロレンツォ・ディ・クレディを介して)を含む有名な芸術家と親睦を図ったり、連絡を取り合っていた。 1507年から1511年の間、彼は最もよく知られた絵画を残した。1507年の「アダムとイヴ」、フリードリヒ3世のために描かれた1508年の「一万人のキリスト教徒の殉教」、同じく1508年の"Virgin with the Iris"、フランクフルト・アム・マインのJacob Hellerのために描かれた1509年の"Assumption of the Virgin "、Matthaeus Landauerのために描かれた1511年の"Adoration of the Trinity"などである。同時期に彼は、『大受難伝』と『マリアの生涯』の2つの木版シリーズを完成させ、両作品とも1511年に、『黙示録』シリーズの第二版と共に出版された。ヴェネツィアから帰国後の木版画は、デューラーのキアロスクーロモデル効果の発展を示している。出版物のいたるところに、明暗が対称的な中間の色調が見られる。 1513年から1514年にかけて、銅版画の傑作である『騎士と死と悪魔』、『メランコリアI(メレンコリアI)』、『書斎の聖ヒエロニムス(英語版)』などの作品を発表した。また、1520年~1521年にはネーデルラントにも滞在している。
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