ナイロンの役者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 08:03 UTC 版)
参加当初のごくごく短い期間(「1979」と「喜劇・箸の行方」)は「ミナミ玲子」と名乗る。この時期、ナイロンはまだ「演劇ユニット」としての認識が強かったため、入れ替え可能な俳優として考えていた上での芸名ではなかったかと考えられる。 実家は心斎橋。大阪公演の際はホテルではなく実家に帰る。そもそもナイロンが大阪公演の際に利用するホテルと、目と鼻の先の所に実家がある。 ナイロンへの参加のかなり初期から重要な役を射止めるまでにあまり時間を要していない。だが当の本人としては「自分は新人である」という思いが常にあり、「フローズン・ビーチ」初演で、やっと新人ではなくなったと思っていた(「フローズン・ビーチ」DVD・特典映像より)。 現在、ナイロンでは安澤千草などと並んで中堅役者として認識されている(厳密な意味では入団時期が異なる)。主役を張ったことはまだない(2007年12月現在)。 ナイロンではIT周りを担当することが多く、かなり初期から公式ウェブサイト運営に携わっていた。現在も大元のデータを管理しているのは彼女であるが、ウェブサイトとメールマガジンの技術的な面では藤田秀世が担当している。ナイロン100℃が不定期に発行するメールマガジンの発行者は彼女の名前になっている。現在、ナイロンで個人ページを持っているのは彼女とみのすけ、藤田秀世の3人のみ(ブログを含めれば、他にKERA、廣川三憲、大山鎬則、皆戸麻衣も)。旅公演にはノートパソコン持参(Macintosh)。
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