ナイジェリア軍時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 14:13 UTC 版)
「チュクエメカ・オジュク」の記事における「ナイジェリア軍時代」の解説
イギリスのイートン・ホールで2年間の将校教育を受けたのち、カノの陸軍第5歩兵大隊の少尉として赴任した。 1958年から1961年にかけて、ガーナのテシエにある西アフリカ国境軍訓練校で講師として教鞭をとったが、この時の教え子の中に、内戦では連邦軍の第2歩兵師団長として手ごわい敵となるムハンメド陸軍中佐がいた。 1961年末に第5歩兵大隊に復帰したが、まもなく少佐に昇進して、カドゥナの陸軍第1歩兵旅団司令本部付きの副官代理に転属となった。1962年にはコンゴの国連平和維持軍に出向したが、コンゴ在勤中に再度イギリス留学を命じられて、統合参謀大学に入学した。 1963年に中佐に昇進して国軍主計総監となり、1964年には第5歩兵大隊長に抜擢された。 1966年に東部州知事に就任している。1967年1月オジュクは東部州軍の再編に取り組み、ンジョク陸軍大佐を座長としてエヌグで首脳会議を開いた。この会議によって、その後のビアフラ共和国軍の骨格がほぼ決まったといわれている。1967年5月30日にビアフラ共和国は独立、オジュクは大統領に就任。
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