ドレヘム文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 15:08 UTC 版)
ニップル近郊にあったドレヘム(Drehem)、即ち古代のプズリシュ・ダガン(Puzrish-Dagan)はメソポタミア史におけるウル第3王朝時代の再分配拠点として最も良く知られた集落であり、ニップルの南東8キロメートルの位置にあった。ここから発見された数万点の粘土板文書が世界各地で保存されている。どのような形で発掘されたのかは不明であり、いずれの国のコレクションも全て「購入」されたものである。日本にも約400枚が平山コレクションとして存在する。 プズリシュ・ダガンはウル第3王朝(前21世紀頃)の王シュルギによって恐らく統治第39年頃に設立された。膨大な文書史料によってその運営について様々な知見が得られている。プズリシュ・ダガンにはウル第3王朝の支配地各地から集積された家畜(ウシ、ヒツジ、ヤギ)を集積する一種の倉庫・飼育場が設置されており、ここからそれらが神殿、役人、そしてシュメールの王宮へと再分配された。ここに集積される家畜は1年あたり60,000頭から80,000頭に達した。このような設備が首都ウルではなくニップルの近郊に設けられたのは、その主目的が何よりもニップルのエンリル神を始めとする神々への犠牲家畜を用意するためのものであったことによる。
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