ドミニコ会の誕生と発展
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「ドミニコ会」の記事における「ドミニコ会の誕生と発展」の解説
1206年、ドミニコの説教に共感した人々が集まり結成された。別名、説教者兄弟会。正式に認可されたのは1216年であり、この年が正式な結成日となっている。 ドミニコ会は同時期に成立したフランシスコ会同様、清貧を特に重んじたため併せて「托鉢修道会」と呼ばれることがある。また神学の研究に励み、学者を多く輩出したドミニコ会は異端審問の審問官に任命されることが多かったため、「ドミニコ会士 (Dominicanis)」をもじって「主の犬 (Domini canis)」とも呼ばれた。この呼び名は反対者にとっては畏怖と揶揄であり、ドミニコ会員たちにとっては誇りであった。 ドミニコ会における神学研究の伝統はアルベルトゥス・マグヌスとその弟子トマス・アクィナスを生み出すことで頂点に達した。他にもマイスター・エックハルトやシエナのカタリナ(女子信徒会)、バルトロメ・デ・ラス・カサスなど多くの有名会員を輩出している。 19世紀の後半には反教会的な風潮に押されてドミニコ会は著しく衰退していたが、フランスから刷新運動が起こり、ヨーロッパとカナダへ波及した。またスペインの植民地だったフィリピンも中世以来ドミニコ会の重要な活動拠点となっており、現在にいたっている。
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