トレーニングスクールとトレーニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/08 02:46 UTC 版)
「日米対抗ローラーゲーム」の記事における「トレーニングスクールとトレーニー」の解説
時を少し戻して1972年の9月には板橋の前野町にボンバーズのトレーニングスクールが開校した。テレビ放送が始まった10月からは多くの男女のプロスケーター志願者が有料で練習を受けるようになった。女性スケーターを探してチラシを配っていたのがまるで嘘のように女性スケーターの志願者が多かった。 プロスケータートレーニーの中にはスターと成った小泉ひろし、インラインスケートX-GAMESの世界チャンピオンに何度も輝いた安床ブラザーズの父、安床由紀夫、一般社団法人日本ローラーダービー協会理事で日本のローラーダービー普及に全力を注いでいる折笠吉美等もいた。 1973年の4月からの試合はハワイから日本へ場所を移して日系人スケーターはボビーだけを加えて後楽園で練習を積んだスケーター達とスクール開校後に練習を積んだ若者が一緒になってレールの上を精一杯走る東京ボンバーズの様子が放送された。 東京12チャンネルでは本番組を「ナイターオフ期の重要コンテンツ」として育てていく考えであったが、当時本番組をネットしていた毎日放送から通年放送を強く要求されたため(毎日放送は東京12チャンネルの大株主であり、さらに当時は両社で一部番組を共同制作するなど密接な関係にあったため、要求を拒絶するのは難しい状況であった)、通年放送の形で放送を続行。しかしこれが逆に視聴者に飽きられる結果を生み、1975年の番組打ち切りにつながったとされる。
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