トルコの地域差別の実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:45 UTC 版)
小島が目撃したトルコにおける差別の構造は、重層的でもあったという。例えば、トルコ東部のトゥンジェリ県に住むザザ人たちは、他の地方のザザ人から同胞とは扱われていなかった。なぜならトゥンジェリ県のザザ人たちはイスラム教(トルコ人を含めた周囲の民族集団がみな信仰している)ではなくアレウィー教という宗教を信仰しており、イスラム教徒の義務であるメッカへの礼拝およびラマダンの断食もしないからである。彼らはいわばイスラム世界の中に孤立した集団であった。 トゥンジェリ県の学校には教員も、教材も極端に不足していたため、生徒の一部は他県の高校に越境進学した。しかし、彼らはしばしば陰惨ないじめに遭った。小島は1977年に起こった事件をこう紹介している。 「トゥンジェリ県出身の生徒全員が一室に集められ、事務員にまる2時間にわたって殴打されたのち、校庭で他の生徒たちにナイフで襲われ、瀕死の重傷を負ったものが出るという事件が起こった。…生徒たちは教室にも寄宿舎にも帰らず、学用品も身の回りの物も捨てて親元に逃げ帰った。もちろん、越境入学をしようという者はいなくなった」。
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