トゥルファン・敦煌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 20:32 UTC 版)
中央アジアの交易・交通の拠点であるトゥルファンや敦煌は、ソグド人にとっても重要な拠点だった。トゥルファンは天山の東に位置しており、紀元前から遊牧民と中華王朝の勢力争いが起きていた。5世紀にはトゥルファンにソグド人の集落があり、6世紀に高昌国によってトゥルファンが統一される頃には、商人のほかに官職につくソグド人も多数にのぼった。北方に遊牧国家である突厥が建国されると、ソグド人は遊牧国家側の使節としても高昌国を訪れ、この使節に商人が同行して取り引きをした。のちに唐が高昌国を征服してトゥルファンが唐の西州となると、使節はなくなって唐の軍需物資の輸送が交易に重要となった。 敦煌は中国・中央アジア・北アジア・チベットを結ぶ位置にあり、「華戎の交わる所の一都会」とも表現される地だった。ソグド人は3世紀頃から集落を作り、11世紀まで活動した記録がある。敦煌をはじめ河西地方のソグド人は、本拠地であるソグディアナの商人と連携して中国内地での遠隔地交易を行った。ソグド人が商業以外で活動をするのは8世紀以降で、唐に代わって吐蕃が敦煌を征服した時代には行政官・軍人・仏教僧としても活動が増えた。ソグド人は唐の帰義軍に参加して吐蕃と戦い、敦煌が唐の支配下に戻ってからも政治や軍事面で活動を続けた。
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