デタントの崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 06:18 UTC 版)
1970年代後半になると、アメリカ国内でデタント政策に対する批判が高まった。そして1979年のソ連のアフガニスタン侵攻により、デタントは崩壊する。しかしブレジネフ政権下で経済停滞が続き、北米(アメリカとカナダ)からの穀物輸入なしには国民を食べさせられなくなっていたソ連は疲弊し、デタント初期のような米ソの均衡関係はもはや崩壊していた。ソ連にはアメリカとの軍備拡張競争に踏み出す体力はすでになく、1950年代から1960年代初期のような全面戦争の危機は再来しなかった(冷戦#新冷戦(1979年-1985年))。 1985年にゴルバチョフが書記長に就任し、「ペレストロイカ」に代表されるソ連の建て直しを図った。この建て直しにおいて、ゴルバチョフ書記長は外交面ではアフガニスタン撤退をはじめとする冷戦の拡大・延長ではなく終結に向けた政策を採った。最終的には建て直しの行き詰まりによるソ連崩壊により、冷戦は終結した。
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