デタントへの道筋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:30 UTC 版)
国際政治レベルにおいても、ソ連がその勢力圏の揺らぎに対して軍事介入という断固たる措置を採ったことは、西側諸国にヨーロッパ分断という現実を再認識させた。その結果、東西の緊張緩和(デタント)を進めるにあたり、まずソ連との関係改善を優先させ、その後東欧各国と交渉するという方式が選択された。別言すれば、「プラハの春」が挫折したことによって、1970年代のデタントを生み出す素地が切り開かれたといえる。
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