テロ組織認定まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 14:24 UTC 版)
「ジョゼフ・コニー」の記事における「テロ組織認定まで」の解説
1993年からコニーは組織名を現在の神の抵抗軍 (LRA) に改めた。北部作戦で壊滅し数千人規模から数百人規模となったLRAは、NRAの協力者と住民に報復攻撃を続けた。 和平担当大臣のベティ・オイェラ・ビゴンベと数度会談したのも、この時期であった。ビゴンベが最後にあった時に部下は油や灰を塗って弾や悪霊を避けていた。また手紙で会談の日程について決める際に聖霊と相談すると書いていた。会談を始める際にはLRAの宗務責任者のジェナロ・ボンゴミが祈りを始めた。1994年の最後の会談時にも聖水を撒く男と共に現れた。 1994年スーダンのオマル・アル=バシール政権の支援を受け暴力が増大した。1996年から2001年まで様々な国際団体がコニーとLRAによるこどもの誘拐を終わらせようと試みた。誘拐や強姦、少年兵などの市民の犠牲は難民キャンプにも及んだ。 現在のウガンダ国軍であるウガンダ人民国防軍 (UPDF) は、コニーを反乱者として殺害しようと試み続けた。だが、UPDFは現大統領ヨウェリ・ムセベニが反政府組織として結成した国民抵抗軍 (NRA) を前身としており、かつては程度の差こそあれ、NRAもLRAと同様の行為を行っていたことが国際的に批判されている。
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