テル・ケル誌・叢書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 06:01 UTC 版)
1960年に若手作家のジャン=エデルン・アリエ(フランス語版)、フィリップ・ソレルス、ルノー・マティニョン(フランス語版)、フェルナン・ド・ジャクロ・デュ・ボワルーヴレ(フランス語版)、ジャック・クードル(Jacques Coudol)、ジャン=ルネ・ユグナン(フランス語版)により、前衛文学雑誌『テル・ケル(あるがままに)』が創刊され、スイユ社から刊行された。翌1961年に『公園』によりメディシス賞を受賞したソレルスが、以後、主導的な役割を担い、「テル・ケル」叢書を創刊し、ヌーヴォー・ロマンの作家の作品や、ジャン・リカルドゥー、ジェラール・ジュネット、ジュリア・クリステヴァの新しい文学理論を次々と紹介した。 だが、まもなく内部対立が生じ、1963年にソレルスに誘われて『テル・ケル』の編集委員会に参加したジャン=ピエール・ファイユ(翌1964年ルノードー賞受賞)がソレルスとの意見の不一致により1967年に編集委員を辞任し、翌1968年に雑誌『シャンジュ(変化)』を創設した。主な寄稿者はジャン=クロード・モンテル(フランス語版)、ジャン・パリ(フランス語版)、モーリス・ロッシュ(フランス語版)、ジャック・ルーボーらで、1971年までスイユ社から、翌年から終刊となる1983年まではセゲルス出版社(フランス語版)(ロベール・ラフォン出版社(フランス語版)の一部門)から刊行された。
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