テル・ケル誌
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「ジャン=ピエール・ファイユ」の記事における「テル・ケル誌」の解説
1960年にフィリップ・ソレルスらの若手作家によって前衛文学雑誌『テル・ケル』(季刊誌)および叢書が創刊された(スイユ社刊)。編集委員はソレルス、ジャン=ルネ・ユグナン(フランス語版)、ジャン=エデルン・アリエ(フランス語版)であったが、翌1961年に『公園』 によりメディシス賞を受賞したソレルスが、以後主導的な役割を担い、1962年に彼を編集長とする新しい編集委員会が結成された。ファイユはこのときにソレルスに誘われて、マルスラン・プレネ(フランス語版)、ジャクリーヌ・リセ(フランス語版)、ジャン・リカルドゥー、ドゥニ・ロッシュ(フランス語版)、ジャン・チボードー(フランス語版)とともに編集委員として参加した(まもなく、ジュリア・クリステヴァも参加)。同誌は当初、共産党を支持していたが、中国の文化大革命をめぐって意見が対立し、ソレルスらは共産党を批判し、毛沢東主義を支持した。実際、五月革命(Mai 68)の前年の1967年にはパリで『毛主席語録』が売り切れるほどであったが、早くからソレルスと意見が対立していたファイユは、1967年に編集委員を辞任し、翌1968年に雑誌『シャンジュ(変化)』を創設した。
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