ソレルスとの出会い - テル・ケル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 21:50 UTC 版)
「ジャン・リカルドゥー」の記事における「ソレルスとの出会い - テル・ケル」の解説
さらにロブ=グリエを介して若手作家のフィリップ・ソレルス(24歳)に出会い、彼がジャン=エデルン・アリエ(フランス語版)とともに1960年に創刊した前衛文学雑誌『テル・ケル』および叢書(スイユ出版社刊)に参加し、1961年春号(第5号)に「ストリップ・ティーズの描写」を寄稿。1962年にはソレルス、リカルドゥー、チボードー、作家・哲学者のジャン=ピエール・ファイユ、作家・美術評論家のマルスラン・プレネ(フランス語版)、ダンテの研究者ジャクリーヌ・リセ(フランス語版)、小説家・写真家のドゥニ・ロッシュ(フランス語版)によって新編集委員会が結成された。『テル・ケル』誌は1982年に終刊となり、ソレルスを中心とする編集部は新たに『ランフィニ(フランス語版)』誌を創刊することになるが、主な寄稿者であるロラン・バルト、フランシス・ポンジュ、ジャック・デリダ、ミシェル・フーコー、ジャック・ラカンらほか、当初はロブ=グリエ、ビュトール、ナタリー・サロートらヌーヴォー・ロマンの作家も参加していた。 『テル・ケル』誌はまもなくフランス共産党を批判し、毛沢東主義を支持したことで内部対立が生じ、一部の寄稿者が脱会した。リカルドゥーの代表作『ヌーヴォー・ロマンの諸問題』(1967年)と『ヌーヴォー・ロマンの理論のために』(1971年)はいずれもスイユ社のテル・ケル叢書として刊行されたが、彼はこれ以後、テル・ケル派から離れ、独自の活動に専念することになる(後述)。
※この「ソレルスとの出会い - テル・ケル」の解説は、「ジャン・リカルドゥー」の解説の一部です。
「ソレルスとの出会い - テル・ケル」を含む「ジャン・リカルドゥー」の記事については、「ジャン・リカルドゥー」の概要を参照ください。
- ソレルスとの出会い - テル・ケルのページへのリンク