テリーディッシンガーとは? わかりやすく解説

テリー・ディッシンガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/12 16:17 UTC 版)

テリー・ディッシンガー
Terry Dischinger
引退
ポジション SF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1940-11-21) 1940年11月21日
没年月日 (2023-10-10) 2023年10月10日(82歳没)
出身地 インディアナ州テレホート
身長(現役時) 201cm (6 ft 7 in)
体重(現役時) 85kg (187 lb)
キャリア情報
出身 パデュー大学
ドラフト 1962年 8位
選手経歴
1962-1964

1964-1965,
1967-1972
1972-1973
シカゴ・ゼファーズ/ボルティモア・ブレッツ
デトロイト・ピストンズ

ポートランド・トレイルブレイザーズ
指導者経歴
1971 デトロイト・ピストンズ
受賞歴
Stats  Basketball-Reference.com
Stats  NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ合衆国 1960
獲得メダル
アメリカ合衆国
オリンピック
1960 ローマ バスケットボール

テリー・ディッシンガーTerry Dischinger1940年11月14日 - 2023年10月10日[1])は、アメリカ合衆国歯科医師、元バスケットボール選手、指導者。

インディアナ州テレポート出身。1960年ローマオリンピックではアメリカ代表として金メダルを獲得し、プロリーグNBAでは新人王に選ばれた経歴を持つ。

学生キャリア

テリー・ディッシンガーことテリー・ギルバート・ディッシンガーはガーフィールド高校時代はバスケット選手として1958年の州のMVP、オールスターズに選ばれ、また野球選手、アメリカンフットボール選手としても才能を発揮し、州のオールチームにも選出された。野球ではベーブ・ルースリーグ・ワールドチャンピオンシップ優勝チームのメンバーでもあった。

パデュー大学ではカレッジバスケのスター選手として活躍。1960年から3年連続でビッグ・テン・カンファレンスの得点王に輝き、AP通信選出のオールアメリカ1stチームにも2年連続で選ばれた。1960年ローマオリンピックではアメリカ代表に選ばれ、先発メンバーとして活躍し、金メダルを獲得した。

NBAキャリア

ゼファーズ/ブレッツ

大学卒業後、1962年のNBAドラフトで全体8位指名を受けてシカゴ・ゼファーズに入団。ディッシンガーはルーキーイヤーから華々しい活躍をみせ、25.5得点8.0リバウンドを記録。ルーキーにしてオールスターにも出場し、新人王にも選ばれた。このシーズンの後にゼファーズはシカゴからボルティモアに本拠地を移し、ボルティモア・ブレッツとなった。新天地では成績を落としたものの、20.8得点8.3リバウンドと高水準の数字を維持した。

ピストンズ

ブレッツ(ゼファーズ)では2シーズンのみプレイし、1964-65シーズンにはデトロイト・ピストンズに移籍した。ブレッツは誕生して間もないチームだったために若手のディッシンガーにも多くの活躍の場を与えられたが、より選手層の厚いピストンズではディッシンガーの得点機会は減り、このシーズンの得点アベレージは初めて20得点を割り、18.2得点6.0リバウンドの成績だったが、それでもチームのリーディングスコアラーだった。

しかしこのシーズン終了後に、ディッシンガーは2年間の兵役に就くことになった。結果的にこの2年間が、ディッシンガーのスター選手としての地位を奪うことになった。

兵役を終え、1967-68シーズンにピストンズに戻るが、彼が不在の間にピストンズの陣容は様変わりし、デイブ・ビンというスコアラーが新エースの座に着いており、復帰後直の成績は13.1得点6.2リバウンドと彼にしては平凡な数字だった。翌シーズンには8.8得点と得点アベレージは一桁台にまで落ち込むも、その分シュート精度は上昇し、ディッシンガーはこのシーズンから当時のフォワードの選手としては異例と言えるフィールドゴール50%以上を4シーズン連続で記録した。

かつての輝きは取り戻せなかったものの、ディッシンガーはピストンズで計6シーズンを過ごし、1971-72シーズン中にはコーチ交代劇に伴い、2試合だけ選手兼コーチとなっている。

ディッシンガーはピストンズからポートランド・トレイルブレイザーズに移籍した1972-73シーズンを最後に、現役から引退した。NBA通算成績は9シーズン652試合の出場で、9012得点3646リバウンド、平均13.8得点5.6リバウンド、フィールドゴール成功率50.6%だった。

その他・主な業績

引退後

引退後のディッシンガーは歯科医となり、顎の整形外科と歯列矯正の権威として知られている[誰によって?]

2023年10月10日に死去。82歳没[1]

脚注

  1. ^ a b Rohini (2023年10月10日). “Terry Dischinger death, Former Basketball Player passed away at 82, cause of death & Obituary” (英語). Medico topics - News Hub | Latest News | Breaking News | Daily News. 2023年10月11日閲覧。

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手 ブランドン・ジェニングス  セバスチャン・テルフェア  テリー・ディッシンガー  ゲイリー・ペイトン  ジャバリス・クリッテントン
アメリカ合衆国のバスケットボール選手 ブランドン・ジェニングス  セバスチャン・テルフェア  テリー・ディッシンガー  ゲイリー・ペイトン  シェーン・バティエ
デトロイト・ピストンズの選手 アルヴィン・ロバートソン  ビル・レインビア  テリー・ディッシンガー  デニス・ロッドマン  カルロス・デルフィーノ
ポートランド・トレイルブレイザーズの選手 スラヴコ・ヴラネス  ラファイエット・リーバー  テリー・ディッシンガー  ジャマール・マグロア  セルヒオ・ロドリゲス
ボルチモア・ブレッツの選手 フィル・シェニエ  アール・モンロー  テリー・ディッシンガー  エルヴィン・ヘイズ  ケビン・ローアリー
シカゴ・ゼファーズの選手 ウォルト・ベラミー  テリー・ディッシンガー  ウッディ・ソウルズベリー  ドン・ネルソン

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

テリーディッシンガーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



テリーディッシンガーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのテリー・ディッシンガー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS