ティート2世、そして家族経営からの脱却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:19 UTC 版)
「リコルディ」の記事における「ティート2世、そして家族経営からの脱却」の解説
リコルディ家の最後を飾る人物はティート・リコルディ(2世)(Tito II Ricordi、1865年 - 1933年)である。彼もまた父ジュリオと同様、音楽に対する深い教養を身に付けた文化人的経営者だった。むしろティート2世は経営者である以前にまずオペラの舞台装置や演出に興味をもち、実際かなりの評価を得るに至った。プッチーニ作曲『トスカ』、『蝶々夫人』および『西部の娘』初演の演出はすべて彼ティート2世の担当である。ただ、会社経営者としては余りに芸術家肌のティート2世はプッチーニの作風に対しても「俗物的である」といった批判をもっており、ジュリオの死(1912年)以降、プッチーニとリコルディ社の関係は冷却状態となった。最終的には、出版業の経営に興味を見出せなかったティート2世が1919年に社業の一切から手を引くことでリコルディ社とプッチーニとの関係修復は図られたが、プッチーニはその後『トゥーランドット』一作を完成させたのみだった。
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