ティート1世の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:19 UTC 版)
創業者ジョヴァンニは『椿姫』初演直後の1853年に死去、事業は息子のティート・リコルディ(1世)(Tito I Ricordi、1811年 - 1888年)に引き継がれた。彼は音楽評論雑誌ガゼッタ・ムジカーレ・ディ・ミラノを主宰するなどその見識はビジネスとしての音楽に留まらなかったが、一方で誕生したばかりのイタリア統一国家をビジネス・チャンスと考え、1864年にナポリ、1865年にフィレンツェ、1871年にローマ、1888年にパレルモに支店を拡大、またロンドンとパリにも事務所を置いて国際的な出版社としての体制を整えた。また、経営不振に陥っていたルッカ社を吸収合併、同社の保有していたワーグナー作品のイタリアにおける出版権を得たことも、収益に大きく貢献した。もちろん、リコルディ社最大の資産はこの頃もヴェルディであった。
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