チャールズ・ステュアートの英本土上陸
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「カロデンの戦い」の記事における「チャールズ・ステュアートの英本土上陸」の解説
1745年、英国王位の王位請求者であるチャールズ若僭王ことチャールズ・エドワード・ステュアートはフランスの後押しを受けてスコットランドに上陸。ハイランドの氏族やカトリック教徒たちを集め、王位簒奪の兵をおこした。ジャコバイト軍はエディンバラを占領、いまだ本格的な反撃態勢を整えられずにいる政府軍の微弱な抵抗を立て続けに破っていった。11月8日、ジャコバイト軍はスコットランド南部国境を突破しイングランドへ侵攻、カーライル、マンチェスターさらにダービーへと軍を進めた。もっともこのままブリテン島全土を軍事制圧できるとはさすがにチャールズは考えておらず、あくまでジョージ2世をハノーファーに追いやるための示威行動であったと考えられている。 チャールズはフランスに援軍を乞いつつ、イングランドで蜂起を呼びかけた。しかしイングランドでは厳しい差別に晒されていたカトリック教徒であるチャールズの呼びかけを民衆はほぼ黙殺、11月末になってフランス艦隊が援軍800人を上陸させたが、一方でカンバーランド公率いる政府軍出撃の報が届いた。やむを得ずジャコバイト軍は北方に退きハイランド地方で態勢の立て直しをはかった。政府軍は翌1746年1月30日にエジンバラを奪還、さらにアバディーンにまで北上後進軍を一旦停止、ジャコバイト軍の動静を窺った。
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