チェチェンおよび北コーカサスにおける活動(1994年~2018年)
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第一次チェチェン紛争(1994-1996)では、ロシアの人権オンブズマンのセルゲイ・コヴァリョフが連邦航空の爆撃を受けながらグロズヌイで何日も過ごし、メモリアルにつながる活動家が重要な役割を担った。彼らは紛争の両陣営の間を行き来し、行方不明者の捜索や戦闘中に死亡した人々の搬送を手配した。 第二次チェチェン紛争(1999年~2005年)では、人権活動家が公平に行動することがより困難になった。グロズヌイにあるメモリアルの事務所は当局による襲撃を頻繁に受けた。殺されたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ(1958-2006)の同僚であるメモリアル活動家のナタリア・エステミロワは、彼女自身もグロズヌイで誘拐され、2009年7月15日に隣のイングーシで射殺されるまでチェチェンでの虐殺と誘拐の調査をしていた。BBCの記者は彼女の死が同国に支援された民兵の調査に関係していると示唆している。その3日後にメモリアルは「たとえ彼らが仕事を続ける準備ができていても、我々の同僚の命を危険にさらすことはできない」と述べ、チェチェンでの活動を停止した。 メモリアルの理事で北カフカスに詳しいオレグ・オルロフは、チェチェンの大統領ラムザン・カディロフがエステミロワの殺人の背後にいると非難している 。一方でカディロフはその関与を否定し、名誉毀損でメモリアルを訴え、その訴状の中でオルロフを名指した。 2018年1月17日には覆面の放火犯がイングーシのナズランにあるメモリアルの北コーカサス事務所に放火した。
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