ダントンの死とは? わかりやすく解説

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ダントンのし【ダントンの死】

読み方:だんとんのし

原題、(ドイツ)Dantons Todビュヒナーによる戯曲。4幕の悲劇亡命資金捻出目的として、1835年執筆カール=グツコー編集経て雑誌フェニックス」に掲載された。初演1902年


ダントンの死

作者ゲオルク・ビューヒナー

収載図書ヴォイツェク ダントンの死 レンツ
出版社岩波書店
刊行年月2006.11
シリーズ名岩波文庫


ダントンの死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 13:19 UTC 版)

ダントンの死
Dantons Tod
作者 ゲオルク・ビューヒナー
ドイツ連邦
言語 ドイツ語
ジャンル 戯曲
幕数 4幕
初出情報
初出 『Phönix』 1835年3月-4月
初演情報
場所 Belle-Alliance-Theater(ベルリン)
初演公開日 1902年1月5日
日本語訳
訳者 新関良三
ポータル 文学 ポータル 舞台芸術
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ダントンの死』(Dantons Tod)は、1835年に執筆されたゲオルク・ビューヒナー戯曲第一共和政下のフランスで実権を握ったマクシミリアン・ロベスピエールによって、革命の立役者の一人であったジョルジュ・ダントンが追い詰められ、断頭台に送られるまでの1794年3月から4月までを描いている。

作者ビューヒナーは当時、扇動的な政治パンフレット『ヘッセン急使』を執筆したことで警察から嫌疑を受けており、亡命資金を得る目的で5週間の間にこの戯曲を仕上げ、新進作家であったカール・グツコーに送った。送金は亡命には間に合わなかったが、グツコーは卑猥すぎる表現など100箇所以上を訂正した上で1835年3月から4月にかけて『フェーニックス』誌に連続掲載し、同年中にザウアーレンダー書店より出版された。

作品の執筆に当たり、ビューヒナーは以下のものを資料としている。雑誌『現代』(Unsere Zeit oder geschichtliche ubersicht der merkwurdigsten Ereignisse von 1789 bis 1830)、ティエール『フランス革命史』(1825年)、ミニェ『フランス革命史』(1824年)。

登場人物

他多数。

構成

第1幕
ダントンは妻のジュリーとともに、トランプ遊びに興じる仲間を眺めている。そこにフィリポーが、エベール派がギロチンにかけられたことを知らせに来る。ジャコバン・クラブではロベスピエールが革命の推進を妨げる「内部の敵」を討つ必要性を訴え、恐怖政治の必要性を説く。仲間に危険を知らされたダントンはロベスピエールと面談するが、意見が合わないまま訣別する。ダントンと別れたロベスピエールはサン・ジュストに促され、ダントン一派を公安委員会にかけ処刑する決意をする。
第2幕
ダントンはカミーユらに逃げるように促されるが、やつらは踏み切れないだろうと言って同意しない。夜、ダントンは九月虐殺を思い出し窓辺でうわごとを言う。そして民兵たちが家に突入し、ダントンはラクロワ、カミーユ、フィリポーとともに逮捕される。
第3幕
ダントンたちはリュクサンブールの牢獄に入れられた後、革命裁判所にかけられる。ダントンは裁判で演説をぶち陪審員の心をつかみかけるが、次の裁判でサン・ジュストがダントンの妻ジュリーとカミーユの妻リュシールの陰謀をでっち上げ、裁判をダントンの不利に進めようとする。
第4幕
ダントンたちは処刑が決まり、コンシェルジュリーの獄舎からギロチンの待つ革命広場へと連れて行かれる。処刑が終わり、死刑執行人がギロチンの手入れをしていると、狂気に陥ったリュシールがやってくる。リュシールは「王様万歳」と叫び、衛兵に連行されていく。

上演

『ダントンの死』は1910年ハンブルクにおいてレーオポルト・イェスナー(de:Leopold Jessner)の演出で公式的に上演された。またゴットフリート・フォン・アイネムオペラを制作しており、1947年ザルツブルク音楽祭においてフェレンツ・フリッチャイの指揮で初演されている。

1918年モスクワで初演されたアレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイによる翻案版[1]もあり、これは、1929年1月26日から1月29日築地小劇場での日本のプロレタリア劇団「東京左翼劇場」の第4回公演(村山知義佐野碩演出、村山知義装置)で上演されたことがある[2]

日本語訳

  • 新関良三訳 『近代劇全集』 第一書房、1928年
  • 黒田礼二訳 『世界戯曲全集』、1929年
  • 井汲越次訳 日本評論社(世界古典文庫)、1949年
  • 石黒英男訳 『ゲオルク・ビュヒナー全集』 河出書房、1970年
  • 山下純照訳 『ベスト・プレイズ 西洋古典戯曲』 日本演劇学会分科会西洋比較演劇研究会編 白凰社、2000年5月
  • 岩淵達治訳 岩波文庫、2006年
  • 谷口廣治訳 『ゲオルク・ビュヒナー全集』 鳥影社、2011年

参考文献

  • 寺岡孝憲 「グツコーとビュヒナー 『ダントンの死』をめぐって」 岡山大学文学部、1999年12月
  • 谷口廣治『理念と肉体のはざまで―G・ビューヒナーの文学』人文書院、1997年

出典

  1. ^ Aleksey Nikolayevich Tolstoy
  2. ^ 『ダントンの死』ポスター 法政大学大原社研_OISR.ORG20世紀ポスター展

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